夕方から降りだした雨は、日が完全に暮れた頃には止んでいた。
でもビニール袋に入れたカメラ以外の全身がずぶ濡れで、それが原因なのか何件かの旅館で宿泊を断られ、暗い道を目的地もなく歩いていた。
雲間から少しだけ見える月は、飼い主とはぐれてしまった犬の視線のように、悲しげで弱々しい光を放つ。
ぼくは短い口笛を数回鳴らしてみた。
月の光に色付いた雲がゆっくりと流れていく、体から不安が少しだけ消えたように感じる。
振り返らず、立ち止まらず、とりあえず今夜はこの道の果てまで歩いて行くことにした。
1980年 | 福島県須賀川市生まれ |
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日本写真芸術専門学校卒業 | |
2009年 | 東京・清澄白河に自主ギャラリー「TAP」を設立 |
2011年 | 日本写真協会賞新人賞 |
2015年 | さがみはら写真新人奨励賞 |
東京国立近代美術館、サンフランシスコ近代美術館に作品が所蔵されている。 | |
<主な個展> | |
2008年 | 「timelessness」コニカミノルタプラザ(東京) |
2009年 | 「uncertain」新宿ニコンサロン(東京) |
2014年 | 「火の粉は風に舞い上がる」武蔵野市立吉祥寺美術館(東京) |
2016年 | 「沈黙の中身はすべて言葉だった」タカ・イシイ ギャラリーフォトグラフィー/フィ(東京) |
<主な写真集> | |
2006年 | 『あめふり』蒼穹舎 |
2012年 | 『大きな石とオオカミ』プランプワームファクトリー |
2013年 | 『木立を抜けて』タカ・イシイギャラリー/TAP |
2016年 | 『雷鳴が陽炎を断つ』冬青社 |
初めてのカメラは小学生の時に買ってもらったフジペットというスクエアフォーマットのカメラだった。そのせいか四角いフレームには思い入れがある。名もないメーカーの二眼レフからブロニカ、ハッセルブラッドと巡って今はローライフレックス。折々に撮影を続けて来た。写真を見る時、記録された光がイマジネーションを喚起し記憶となってよみがえる。
私にとって写真とは四角い枠に封じ込められた、かけがえのない光の記憶である。
1954年生まれ 京都市在住 | |
関西学院大学社会学部・大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)卒業 | |
大阪写真月間実行委員会代表・京都写真クラブ副代表・日本写真協会会員 他 | |
現在、学校法人ビジュアルアーツ専門学校大阪校学校長 | |
<個展> | |
1991年 | 「NUDE STUDY」大阪府立現代美術センター(大阪) |
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1994年 | 「Recollections」大阪府立現代美術センター(大阪) |
1997年 | 「Recollections-記憶の形象-」コスモギャラリー(大阪) |
2006年 | 「Still Life 記憶の形象」ビジュアルアーツギャラリー(大阪) |
<グループ展> | |
1993年 | 「Horizon写真展」大阪三越百貨店(大阪) |
1996年 | 「写真の位相展」ギャラリーヒルゲート(京都) |
1996年-2017年 | 「京都写真芸術家協会展」京都府立文化芸術会館(京都) |
1997年-2016年 | 「How are you? PHOTOGRAPHY展」ギャラリーマロニエほか(京都) |
1997年 | 「APA(日本広告写真家協会)関西支部展」コスモミュージアム(大阪) |
1997年-2010年 | 「京都現代写真作家展」京都府立文化芸術会館、京都文化博物館(京都) |
1996年-2017年 | 「京都写真芸術家協会展」京都府立文化芸術会館(京都) |
1999年 | 「99`写真表現のベクトル PRINTS・銀粒子の誘惑展」ギャラリーヒルゲート(京都) |
2000年 | 「2000新鋭美術選抜展」京都市美術館(京都) |
2002年-2017年 | 大阪写真月間「写真家150人の一坪展」ニコンサロンほか(大阪) |
2002年-2016年 | 「京都写真展」ギャラリーマロニエ(京都) |
聞き手:小岩勉(写真家・仙台写真月間2017 代表)
予約不要・参加無料/先着25名
開始時間までに各ギャラリーにお集まりください。
1980 年代、好景気の中で企業系の写真コンペ、写真ギャラリーが多数出現しました。そのことは、発表の場のない作家の存在を浮かび上がらせ、新しい作家の登場の機会としても、一定の役割を果たしてきました。バブル崩壊後、多くの作家は一見変わらずに続いているように見えたそれらが、あくまで企業の経済活動である事に気づき、撮りたいものをたんたんと撮り続け、自らの手で発表して行く場を求め始めます。作家自身が運営する自らの発表の場「フォトグラファーズギャラリー」が東京・新宿に誕生した2001 年と同年に、仙台写真月間や大阪写真月間が誕生するのは、単なる偶然では無かったのかもしれません。
今回は、2009 年に自主ギャラリー「TAP」を設立した村越としや氏と、大阪写真月間代表である村中修氏を招き、写真家としての成り立ちと、発表の場「自主ギャラリー」を継続していくこと、さらに阪神と東北の2つの震災と写真についても語っていただきます。
企画運営 仙台写真月間2017
主催 せんだいメディアテーク(公益財団法人 仙台市市民文化事業団)
協力 FIKA cafe・art
アートノードイベントサイト
人はわすれていくようにできているのに、いつまでもじぶんの内にのこりつづける瞬間がある。
薄まったり濃くなったり、透けたりはね返したり。
それはいったいなんなのか、なぜなのか。
1977年 | 岩手県宮古市生まれ |
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2000年 | 東北芸術工科大学卒業 |
<主な個展> | |
2001年 | 「午後三時」 ギャラリーKingyo |
2006年 | 「熱風のせつな」 東北工業大学一番町ロビー、ギャラリーKingyo |
2007年 | 「名前のない体温」アートスペース宙 |
2011年 | 「地震のこと」ギャラリーKingyo |
2012年 | 「それでも」 SARP |
2013年 | 「扉」 SARP |
2014年 | 「ディスカバー」」SARP |
2015年 | 「点O」SARP |
2016年 | 「星屑とうたごえ」SARP |
2017年 | 花輪奈穂写真展 靖山画廊 |
<主なグループ展> | |
2015年 | 「SICF16」 スパイラル |
2016年 | 「SICF17」 スパイラル |
2017年 | 中之条ビエンナーレ2017 |
展示作家とゲストによるアーティストトークを行います。予約不要・参加無料。開始時間までに各ギャラリーにお集まりください。
ゲスト:人見 将(ひとみ まさる)
埼玉県生まれ。写真家&現代美術家。フォトグラムやフロッタージュなど写真の古典技法を使った作品制作をしている。2017年には群馬県中之条町に移住し、スタジオとフィルム現像ができる施設「イサマムラ写真室」を設立。RICOHポートフォリオオーディション受賞者によるグループ「JITTER」としても活動している。「中之条ビエンナーレ2015, 2017」、「京都グラフィーサテライトKG+ 2014」、リコーイメージングスクエア銀座「名もなき者たち2015」、Hasu no hana「モダン藝術写真展 REINCARNATION vol2」、Gallery Cafe 3「煙」、ART GALLERY M84「審美」など多数。
ハマドオリは地震と津波により破壊され、原発事故の放射能で広範囲に汚染されてしまいました。人が住めない場所となり、地域から全ての人々が去っても、神々が宿るやしろ社やほこら祠、やおよろず八百万の神々がおわします諸々の自然、先祖たちが眠る墓地や寺は被災して尚、そこに踏みとどまり、すべてを見守り続けていました。神々や、み仏とともに人々は被災したのです。
1947年 | 仙台市生まれ |
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1974年 | 1級建築士 |
2011年 | 第36回JPS展入選 |
2015年 | 京都造形芸術大学写真コース卒業 |
2015年 | 「3がつ11にちをわすれないためにセンター」活動参加 |
1984年から20年間、地域の記録写真約1万枚を撮影。 | |
2008年に仙台市博物館に寄贈。 | |
東日本大震災以後関連写真を現在も撮り続けている。 | |
<個展> | |
2015年 | 「復興大地 -仙台沿岸部再生-」ニコンプラザ仙台 |
2017年 | 「タイル・ルート・トタン -荒浜•藤塚と浪江の記録-」せんだいメディアテーク7Fラウンジ |
<写真集> | |
2015年 | 『あの日につづく時間 -2011.3.11』冬青社 |
展示作家とゲストによる座談会を行います。予約不要・参加無料。開始時間までに各ギャラリーにお集まりください。
ゲスト:佐藤 豊(さとう ゆたか)
1937年生まれ 漁師を退職後、写真の撮影をはじめる。震災後は仙台市荒浜にて海辺の写真展、七郷の定点撮影など地元を中心に写真家活動を続けながら、震災前の荒浜の写真を集めるプロジェクトも行なっている。せんだいメディアテーク 3がつ11にちをわすれないためにセンター(通称わすれン!)参加者。
ゲスト:村田 怜央(むらた れお)
1984年生まれ 10代の終わりから映写技師として映画館に勤務。35ミリとデジタル上映の両方を経験した幸運な世代。2012年より映像で話す場所「こえシネマ」の一員。現在はせんだいメディアテーク わすれン!スタッフ。
ゲスト:阿部 明子(あべ あきこ)
1984年生まれ 写真を用いた表現活動をしている。東北芸術工科大学映像コース卒。2012年より仙台写真月間にて個展を継続的に開催。2016~17年せんだいメディアテークにて写真を媒体にした記録活動者やアーカイブ活動者のサポートを行う。
三千年に一度
天女は羽衣で大岩を撫ぜる
その大岩が羽衣の摩擦によって消えて無くなる間の
なんでもない、瑣末な一瞬の出来事
1984年 | 宮城県生まれ 仙台在住 |
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2007年 | 東北芸術工科大学 デザイン工学部情報デザイン学科 映像コース(現映像学科)卒業 |
<主な個展> | |
2013年 | 「空は青くてもう夕方のようだ」SARP(宮城) |
2014年 | 「染みだす閾」SARP(宮城) |
2015年 | 「不在の痕」SARP(宮城) |
2002年 | 「編ミ景」アートギャラリー杜(宮城) |
2003年 | 「レウムノビレ」MUSEE F(東京) |
<主なグループ展> | |
2012年 | 「トーキョーワンダーウォール公募2012」東京都現代美術館(東京) |
2015年 | 「リフレクション展」表参道画廊+MUSEE F(東京) |
2016年 | 「カンコウツウコウ 春の会合」トーキヨーライトルーム(東京) |
2016年 | 「カンコウツウコウ 夏の会合」トーキヨーライトルーム(東京) |
2016年 | 「カンコウツウコウ 秋の会合」SARP(宮城) |
展示作家とゲストによるアーティストトークを行います。予約不要・参加無料。開始時間までに各ギャラリーにお集まりください。
ゲスト:小岩 瞳子(こいわ とうこ)
1974年生まれ 写真家 東北芸術工科大学デザイン工学部卒。2001年より仙台で個展を継続的に開催。
2013年『世界』2013年4月号(岩波書店)作品掲載。2013年河北新報夕刊連載(10月〜2月)。
ゲスト:小岩 勉(こいわ つとむ)
1962 年生まれ 写真家 1990年代より仙台で個展を継続的に開催。
おもな個展・写真集/写真集:「 女川海物語」カタツムリ/「FACES OF HUMANITY 93/94」(共著)/「野守の鏡」私家版
個展:「 女川海物語」 銀座ガーディアン・ガーデン/「 クサカゲロウ」 ギャラリー 冬青/「Tage zählen」 EKO-Haus デュッセルドルフ・ドイツ ほか多数
a
1. 一つの
2. 同じ
3. {漠然と}ある
4. {総称的に}…というもの
(研究社 新英和中辞典より)
見ることと思い出すこと
1982年 | 仙台市生まれ |
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<個展> | |
2006年 | 「夜に浮ぶ静物」アートスペース宙 |
2007年 | 「夜に浮ぶ」 アートスペース宙 |
2008年 | 「箱日記」cafe Mozart Atelier |
2009年 | 「Lamp」アートスペース宙 |
2011年 | 「北風 はと 太陽」SARP |
2012年 | 「綿毛のポートレート / 擬態七食」SARP |
2015年 | 「星と蛇口」SARP |
2016年 | 「a」SARP |
<グループ展> | |
2012年 | 「東北より」ニコンサロンbis大阪 |
展示作家とゲストによるアーティストトークを行います。予約不要・参加無料。開始時間までに各ギャラリーにお集まりください。
ゲスト:小岩 瞳子(こいわ とうこ)
1974年生まれ 写真家 東北芸術工科大学デザイン工学部卒。2001年より仙台で個展を継続的に開催。
2013年『世界』2013年4月号(岩波書店)作品掲載。2013年河北新報夕刊連載(10月〜2月)。
ゲスト:小岩 勉(こいわ つとむ)
1962 年生まれ 写真家 1990年代より仙台で個展を継続的に開催。
おもな個展・写真集/写真集:「 女川海物語」カタツムリ/「FACES OF HUMANITY 93/94」(共著)/「野守の鏡」私家版
個展:「 女川海物語」 銀座ガーディアン・ガーデン/「 クサカゲロウ」 ギャラリー 冬青/「Tage zählen」 EKO-Haus デュッセルドルフ・ドイツ ほか多数
自身が生まれ育った土地を撮ることはその行為だけですでに多様な視点や背景が付きまといます。秋田に写真を撮りに行き、東京に戻り現像をしてプリントをする。その反復のなかで何を手に入れ何を失ったのかとこの数年自分に問いかけながら撮影してきました。私が過ごした時間と彼らが過ごしている時間と、写真の中に写された時間。交錯し、あるいは置き去りにされた様々な時間の軸を展示としてまとめてみようと思いました。
1987年 | 秋田県大館市生まれ |
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東北学院大学、日本写真芸術専門学校卒業 | |
出版社専属カメラマンを経て独立。 | |
現在、東京でフリーランスカメラマンとして働く傍ら、秋田に通い撮影を続けている。 | |
<作品掲載> | |
2015年 | 雑誌「世界」岩波書店 |
展示作家とゲストによるアーティストトークを行います。予約不要・参加無料。開始時間までに各ギャラリーにお集まりください。
ゲスト:ミウラカズト
桑沢デザイン研究所 研究科写真専攻を1968年に卒業、㈱凸版印刷写真部に勤務。
1979年~2013年、東京造形大学・桑沢デザイン研究所・日本写真芸術専門学校の非常勤講師。
1989年~1998年 『on the record まずは記録まで』10回連続写真展、1998年(株)モールから写真集『会話 correspondennce』、2008年三鷹市美術ギャラリー企画『スナップショットの時間 三浦和人と関口正夫』展、2016年FUJIFILM SQUARE写真歴史博物館企画『牛腸茂雄という写真家がいた』展監修・プリント制作。
現在、文星芸術大学非常勤講師。
手をみる ただみつめてみる
ふと
もののありさまがうしなわれ
意識がだんだん 沈みはじめる
目をあけたまま
私もなにものでもなくなっていく
少しの間 些細なインパクトが訪れるまで
沈んで沈んで
からだを忘れる
1984年 | 宮城県大崎市(旧岩出山町)生まれ 東京都在住 |
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東北芸術工科大学 大学院 芸術工学専攻科 デザイン工学専攻修了 | |
<個展> | |
2016年 | 「しらない半径一時間」 SARP |
展示作家とゲストによるアーティストトークを行います。予約不要・参加無料。開始時間までに各ギャラリーにお集まりください。
ゲスト:市川美幸(いちかわみゆき)
写真家、東京総合写真専門学校講師。1989年 多摩美術大学大学院美術研究科 修了。同年より展示を主として作品発表を続ける。ツァイト・フォトサロン等での個展、国際交流基金主催の海外巡回展など、個展・グループ展多数。傍ら、東北芸術工科大学、東京総合写真専門学校等、各教育現場で助手・講師・准教授に就任。1999-2000年 文化庁海外在外研修員としてベルリン滞在。パブリックコレクションとして、パリ国立図書館、東京都写真美術館など国内外で作品が収蔵されている。2001年VOCA展 奨励賞。
宮城県北西部、奥羽山脈山麓の町鴬沢に、細倉鉱山という鉛や亜鉛を産出した日本で有数の鉱山がありました。
鉱山の発展とともに町は発展し、最も人口が多かった1950年代には1万3千人の人口があったといいます。
1941年、旧満州に生まれた寺崎英子は、家族とともに細倉に移り住み、家業の売店を生業にしてきました。鉱山の閉山が発表されると、寺崎はカメラを手にし、その後の細倉とそこに暮らす人々、そして、暮らしの痕跡が野に還っていく姿を、丹念に撮影してきました。
本展示は、2016年5月、75歳で亡くなった寺崎英子から託された、約1万3千カットのネガから、写真家寺崎英子の一端を紹介するものです。
1941年 | 旧満州生まれ |
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幼少期に脊椎カリエスを患う。 | |
1986年 | 細倉鉱山閉山の発表直後から写真を撮り始め、新聞掲載等で注目を集める。 |
2015年 | 写真家の小岩勉に全てのネガを預ける。 |
2016年 | 死去。享年75歳。 |
故人が遺した手紙に「空が青いだけで幸せ」
という言葉を思い出したせいか。
空を視ることが多くなった。
今は只、脈を打てよ。
許される迄、鼓動に耳を傾けよ。
1981年 | 仙台市生まれ |
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<個展> | |
2000年 | 「自由経由」仙台市民ギャラリー |
2003年 | 「みちこ」 re:bridge edit |
2004年 | 「ある人間の日常」re: bridge edit |
2004年 | 「虚しい残像」re: bridge edit |
2016年 | 「onomatopoeia」SARP |
仙台写真月間2017クロージングパーティーを持ち寄りで行います。多くのみなさまのご参加をお待ちしております。